気まぐれ日記 2017年11月

2017年10月はここ

11月1日(水)「留学生に感動と感謝・・・の風さん」
 寝坊してしまったので、大学まで有料道路で行くことにした。何とか約束した10時に、自由ヶ丘キャンパスに間に合った。
 早速、田村先生に、先週の講義の途中で遭遇した専門技術的な疑問について相談した。先生は、ひと目見て、これは実際に解く場面でも工夫が必要な問題で、最近もコンピュータでやったことがある、と言いながら解説してくださったが、やはり高度な内容で、知識の不足している私には理解はむずかしかった。ただし、学生にそこまで説明する必要はない、とも言ってもらえたので、少し安心した。何とか時間を作って相談に来てよかった。
 昼食も含めて色々と情報交換したが、話題は多過ぎた。深く話し合うためには、また来る必要がある。
 午後の講義に間に合うように、本山キャンパスへキャメロンで移動した。
 講義が始まってまもなく、田村先生の部屋にパソコンの備品類を忘れてきたことに気付いた。これがないと、講義が進められない。事務室から電話すると、確かに私の備品類がそこにあった。ドクターコースの留学生がすぐに持って来てくれることになった。
 パソコンを使わずに、配布資料と口頭で講義を続けていると、まもなく留学生が到着した。予想よりずいぶんと早い到着だったので、「どうやって来たの?」と尋ねると、「走ってきた」という返事。確かに走って走れない距離ではないが、本当に走ったとすると、これは大変なことだった。申し訳ない以上に、彼に敬意を払いつつ「ありがとう」とお礼を言ったが、後日、何か違った形でもお礼をする必要があると思った。
 お蔭で、その後の講義はいつも通りにできた。
 帰りはキャメロンで有料道路を使わず走った。途中で給油と自動洗車もした。
 昨日の講演要旨の準備に続いて、今日の講義を終えたことで、来週の秋田行きの準備に取り掛かれるようになった。
 秋田での仕事もけっこう私にとってはハイレベルなので、しっかり勉強しておく必要がある。
 しかし、今夜は、疲労で眠かったので、重要なメールを送ることを優先させ、勉強はわずかしかできなかった。

11月2日(木)「顎の痛みの原因・・・の風さん」
 顎の痛みの原因を知るため、紹介された口腔外科へ行った。整形外科と歯科の診断からおよそのことは想像できたが、原因を確定させたかった。
 紹介状を持って行った先は、半田市の総合病院で、私は初めてだった。予約してあったのだが、口腔外科はとても混んでいて、レントゲン撮影を終えても、なかなか順番が回ってこなかった。
 1時間遅れで受けた診察結果は、予想外だった。こういった症状に考えられる病気としてはT型、U型、V型と3種類あるとのことだったのだが、私の場合は、それらすべてが該当した合併症だった。そして、残念だったのは、決定的な治療法はなく、幸い、生活に支障をきたす状態ではなかったので、病気と上手に付き合うしかないということだった。
 多くの病気と付き合ってきた私なので、これは運命と受け入れるしかないと思った。
 症状緩和のための薬を処方してもらった。
 帰りに、住居地に最も近い薬局で処方された薬を購入した。処方箋は、病院からファックスでそこへ送信してあったのだ。
 帰宅し、空腹を感じたのでインスタントラーメンを作って食べ、昼寝するためベッドに直行した。
 来週の秋田の仕事のために、3冊の本を読んで準備しようと思っていた。その中の最優先の本を読み始めたのだが、なかなか読み進まない。午前3時まで頑張ったが、だめだった。

11月3日(金)「兄夫婦が安着・・・の風さん」
 今日も忙しくなりそうだ。少し早起きした。
 ワイフと買い物に出発。産直売店で地元の名産品を秋田へ送った。同級会の会場を提供してくれる友達へである。重量が重量なので、宅配代がそれなりの金額になった。
 福島から墓参に来てくれる兄夫婦のために、お墓へ行き、きれいにしようとしたら、前回供えた花から種が落ちたらしく、たくさん芽が出ていて、驚いた。こんなのは初めてだった。
 それからもう1軒、土産物屋へ行き、角館へ持参するお土産を購入した。
 帰宅し、昼食後、また昼寝してしまった。
 兄夫婦の到着が、渋滞のため遅れ気味だった。角館へ電話し、算額見学について、再確認した。これで、角館のスケジュールは確定した。あとは、私が自分の仮想セリフを作っておくことだ。問題は、準備する時間があるかどうか。
 長女は既に名古屋を出発していた。兄夫婦と合流するため、セントレアへ向かった。今夜は5人で中華料理を食べることになっている。
 3連休の初日ということで、観光地である当地も道路が混んでいた。セントレアに着くと、駐車場が満車状態だった。初めて臨時駐車場にとめた。
 予約してあった中華料理のレストランに5人で入ることができた。まずは兄夫婦の安着を祝い、続けて、ワイフのバースデーを祝って乾杯した(私はノンアルコール)。
 さまざまな料理を注文したので、あっという間にテーブルが一杯になってしまった。私は最後にちょっと変わったラーメンを注文したのだが、使ってある香辛料が独特の香りで気に入った。また食べたい。
 電車で帰る長女を送り出し、兄夫婦と別れ、帰りにアクアに給油して帰宅した。
 秋田での仕事の準備が終わっていなかったので、私はまた書斎にこもったが、別れ際、長女が私たちに渡してくれたのは、8月に死んだペコの思い出写真アルバムだった。よくこれだけ集めたものだと思うほど、充実した構成で、しかも、ペコの特長がよく出ていて、涙をこらえることができなかった。
 就寝はまた午前2時を過ぎた。

11月4日(土)「海外旅行用のスーツケース・・・の風さん」
 腹痛で早朝から目が覚めた。昨夜の中華料理の食べ過ぎが原因らしい。寝不足もあって非常に不快だ。
 用事で名古屋へ出かけるワイフを駅まで送り、ワイフから兄夫婦に今日のスケジュールのスタートを遅らせるメールを頼んだ。
 帰宅してすぐまたベッドにもぐり込んだ。
 兄夫婦が1時間遅れの10時に来てくれたので、寝不足を少し補うことができ、腹痛も少しやわらいだ。
 11時に心月斎へ行き、墓参の後、前の住職さん夫妻と歓談して帰宅した。今年初めには父の十三回忌だったが、来年は母の七回忌になる。
 1時に家を出発し、クルマ2台で常滑イオンへ行ったが、3連休の真ん中ということもあり、駐車場がいっぱい。私は遠くへとめた。
 パンケーキの店でランチにした。腹痛が治ってやっと食べられるようになった。
 ペットショップの前で午後3時に兄夫婦と別れた。今回は両家とも過密スケジュールだったので、無理はしないことにしてあった。
 帰宅した私は、明日からの秋田の旅の準備をしなければならなかった。月曜日の仕事が最重要課題だったが、その準備が思うように進んでいなかった。2番目の重要課題は火曜日の撮影だが、その準備も同様に遅れていた。しかし、兄夫婦と早く別れたことで時間ができ、それらに集中することができた。
 しかし、明日の早立ちを考えると、遅くまでやっているわけにはいかなかった。結局、出発してからも準備を続けることを考え、勉強道具をたくさん持って行くことにした。海外旅行用のスーツケースで行くことにした。

11月5日(日)「小雨の上がった秋田はやや寒い・・・の風さん」
 7時45分発のANAでセントレアを出発するので、7時までに空港に着きたかった。それは何とか達成できたのだが、出発便が集中している時間帯で、荷物を預ける人が長蛇の列を作っていた。スタッフの人たちが、出発時刻の迫っている人から順番にセキュリティチェックをさせるという苦肉の策で、私も飛び越えてスーツケースを預けることができた。
 その後の手荷物検査も慣れているのだが、何せ旅客であふれかえっているので、時間が気になった。
 こうして何とか好きなプロペラ機の乗客になれた。ふと周囲を見回すと、不思議なことに空席がけっこうある。3連休の最終日だが、これはいったいどうしたことか。
 明日の仕事のために3冊の本を読んでおこうと思っていた。しかし、結局、自宅では1冊を読了、2冊目は途中だった。機内でその2冊目を読むことにしていた。幸い、気力と体力が残っていて、順調に読み進むことができた。窓から見えた雪をかぶった北アルプスも気分を爽快にしてくれた。
 秋田に着くと、小雨が降っていた。予定通り、空港の売店で秋田の土産物を買い、日ごろお世話になっている3人の方へ宅配で送る手配をした。同じ売店で買った一筆箋と封筒で短いメッセージの手紙を書いたのだが、なぜか店員が同梱することをいやがった。同じ店の商品だからいいでしょう、とねじこんだ。予定通りでないと、別途連絡する必要があるので、私も必死だった。
 レンタカー会社に電話して迎えに来てもらい、前回と同様に大きな軽自動車を借りた。
 実は、航空チケットを購入した後、日中の予定がなくなったので、前から気になっていた古四王神社に向かった。山口和がここへ来た時見た算額は失われた。由緒ある神社なので、どんな風情をしているのか確認しておく必要があった。
 神社の拝殿は小高いところに林に囲まれてあり、ふもとにレンタカーをとめて徒歩でのぼった。雨は上がっていたが、苔むした石畳の道を寒さを感じながら歩き回って、山口和の旅を思った。
 ホテルにチェックインするには早過ぎたので、御所野のイオンで時間をつぶすことにした。
 ここも混雑していたが、先ず昼食を摂ってから、休憩所でまた勉強の続きをした。そうしてほどよい時刻になったころ、駅前の定宿へ向かった。
 チェックインし、部屋で明日の準備をしておいた。
 駅の東口にある寿司屋が高校の同級会の開催場所だった。17時半開始である。7人の出席の中で、今夜も一人初顔がいて、45年ぶりの再会だった。昔の面影がたっぷり残っている友人で、45年間の人生の一端を聞いたが、感心することばかりだった。拙著を贈呈した。
 2次会へも行き、明日の撮影の下打ち合わせもし、ホテルに戻ったのは午前零時だった。

11月6日(月)「51年ぶりの再会・・・の風さん」
 8時半にホテルを出発し、大仙市の花火会社へ向かった。今回は知人が仲介してくれた現場指導が仕事である。
 前回の目的地横手よりも近いので、途中のSAでまた勉強の続きをした。昨日は曇り空だったが、今日は晴れていて、日差しが強かった。
 現地にもだいぶ早く着いた。
 10時から15時まで、社長がつきっきりで案内してもらう中で、色々な指摘をさせていただいた。私が経験した理想に近いモノづくりとはかけ離れたカンコツの世界だったので、どれだけ役に立ったのか、不安である。しかし逆に、私自身学ぶことが多く、有意義な機会だった。できれば、心のふるさとにある会社なので、今後も関係を持って何かしら貢献したいと思う。また、社長の熱意に感銘を受けてもいた。
 前回と同じ駅前のホテルに、早めにチェックインできた。昨日と同様に、先ず、明日の準備をすることにした。
 しかし、昨日と違って、今日は集中した仕事をした後だったので、疲労が出始めていた。
 今夜は小学校の同級会で、開始は6時半。まだ時間があると思ってベッドで横になったら寝過ごしてしまった。
 急いでホテルを出て、友人がやっているスナックを目指したが、場所が分からなくなって焦った。最後には見つけたが、ホテルのすぐ近くだった(笑)。
 私は大曲で中学1年までいた。今回は幹事役の友人が、中学1年で同じクラスだった友人に声をかけると共に、当時の担任の先生まで呼んでくれた。
 遅れてスナックに入ると、知らない女性がずらりとカウンターに並んでいた。一番手前の女性がニコニコしながら私を見ていた。もちろん誰だか分からない。しかし、まもなくその女性が、かつての担任の先生だと知って驚いた。かつて30歳だった先生は81歳になっていて、今でも若くて美しい女性だった。嬉しかった。用意してあった最近の児童書3冊セットを先生に贈呈することができた。
 アルバムで確認しながら、女性たちと話してみると、皆、かつての面影を残していたので、これも感動した。それに比べて何となく自分だけ老化してしまったような気がした。
 ご高齢の先生は幹事役の友人が送って早めに帰り、その後、また同級生の女性が一人来て、にぎやかだった。
 結局、午前零時までその店に迷惑をかけてホテルに帰ったのだが、昨日と同様に、けっこう酔っ払っていた。

11月7日(火)「角館からにかほへ・・・の風さん」
 高校の同級生の企画で、秋田テレビで鳴海風が紹介されることになった。私としてもこの企画が気に入ったので、それなら角館を取材中の私を撮影してくれと逆提案し、それが実現することになった。
 昨日に続いて寝不足でもなかった。そして、何より、友人が注いでくれた日本酒がすべて極上のものだったので、二日酔いでもなかった。
 しかし、なぜか準備に手こずって、余裕のある時刻にホテルを出発することができなかった。
 秋田県内の道路は空いているし信号も少ないので、走りやすい。
 角館の武家屋敷地域に入ってビックリした。突然、歩いている多くの観光客が目に入ったからだ。平日であれば、撮影場所に迷惑をかけることはないだろうと思っていたのに、まったく予想外だった。ちょうど紅葉真っ盛りで、人気のシーズンなのだろう。中国人団体客が多いのも、混雑を激しいものにしていた。
 昨夜に続いて、私はまた到着が遅れた。武家屋敷地域で道に迷ったのが原因だ。
 既に大曲の友人が二人青柳家の入り口に着いて、私を待っていた。
 中に入ると、当然秋田テレビは着いていて、撮影スポットもすべて決めていた。
 由利本荘地区からのひやかし隊はまだ到着していなかった。
 解体新書館内で『解体新書』を見学中の鳴海風が撮影され、続いて小田野直武像の前で、インタビューに答えるシーンが撮影され、ここでの撮影は終了した。由利本荘地区から中学時代の同級生3人が到着したのはこの頃だった。
 大曲の友人は忙しいからもう帰ると言うので、ハイカラ館でアイスクリームをおごってしばらく歓談してから別れた。
 午後の撮影時刻まで、中学時代の同級生と青柳家で過ごした。昼食に稲庭うどんを食べ、ハイカラ館で美味しいコーヒーを飲んだ。
 次の目的地は熊野神社で近いので、私のレンタカーに4人で乗って行くことにした。大型の軽自動車だから問題ない。
 目的地はナビにも出てこないので、友人のスマホで目的地の住所を狙って向かった。
 やがてそれらしい場所があり、秋田テレビも到着していた。
 そこは森閑とした森の中で、古色蒼然たる拝殿が斜面に建築されていた。
 ところが、予定の時刻近くになっても、合流予定の岩手県和算研究会の会長が来ないので、ケータイに電話してみた。
 すると、もう到着していて、管理している方がカギを開けて、中も見ていると言うではないか。
 あちこちに点在する熊野神社の、目的地でない熊野神社に我々はいることがわかった。
 苦労してたどりついた正しい熊野神社は、平地にあったが、古さという点では、間違った熊野神社に負けてはいなかった。間違った熊野神社は杉の巨木に囲まれていたが、ここは大きなイチョウの木があり、周囲は黄色い落葉でびっしりだった。
 算額は4面あった。ここでは多くのシーンが撮影された。岩手県和算研究会の会長のインタビューもあり、さすが専門家といえる的確な説明をしてくれ、撮影に深みが増した。来ていただいて本当によかった。
 1時間以上の撮影を終えて、満足感で熊野神社を後にしたが、レンタカーの中が異様な匂いで充満した。イチョウの落葉の下に銀杏があり、4人ともそれらを踏みつぶしたらしい(笑)。
 友人らがクルマをとめたところまで行き、今度は2台でにかほ市にあるスナックを目指した。
 有料道路を使わなかったせいもあるが、2時間以上かかった。
 いつものホテルにチェックインし、ゆっくり準備をしてからホテル前のスナックKに向かった。既に同級生が全員集まっていて、宴会が盛り上がっていた。通算3回目の私は、それでも余裕があった。今夜もこれから長丁場なのである。
 ここが初めての同級生は、私が誘った親友だった。彼も、久しぶりに同級生に再会できてうれしかったようだ。
 人の出入りが途中であったが、同級会の楽しさは不思議な安心感だ。地元でずっと暮らしてきた人もいるが、私のように若い頃の数年間を共有しただけでも、この安心感は懐かしさをこえた不思議な感覚である。
 また今回も午前零時に閉会となり、歩いてホテルへ向かったが、足元が怪しく、どうやらかなり酩酊しているらしかった。

11月8日(水)「象潟で短編の着想を得た・・・の風さん」
 水の音で目が覚めた。
 自分のいる場所は思い出したが、昨夜、ホテルのエレベーターで自分の部屋へ向かったあたりから、記憶がぼやけている。
 水の音がする。
 秋田での主なスケジュールをこなせたという実感がわいてきた。開放感に包まれてきた。
 水の音がする。何だろう?・・・・・・あっ!
 ベッドから起き出してバスルームへ行くと、浴槽にお湯がたっぷり。そうか。風呂に入ろうとして、そのまま寝てしまったのか(笑)。
 秋田に来てから常に翌日の準備をして寝ていた。しかし、昨夜は何もしてなかった。
 朝食を摂りに部屋を出たのは8時半過ぎだった。レストランに客はいなかった。和食中心にして少ない量ですませた。
 チェックアウト時刻を確かめると11時だったので、10時を少し過ぎても大丈夫だと、ゆっくり出発の準備を始めた。昨夜はできなかったメールチェックもやった。
 帰りの便は夕方なので、予定通り、この地域の取材に向かった。先ず、最初の目的地は象潟の郷土資料館だ。ナビにセットして向かったのだが、近くまで行ったら、なかった。と言うか、工事中で外部がシートですっぽり覆われていた。
 しかし、驚くことに開館中と書いてあり、わずかに開いている入り口から中へ入ることができた。
 2階は芭蕉と象潟をテーマにした特別展示がしてあり、一つ一つの展示が面白く、じっくりと眺めて楽しんだ。残念だったのは、欲しい資料がたくさんあったのに、館内写真撮影禁止だった。
 帰りに図録はないか尋ねたら、ないとのことで、郷土研究会で発行している資料を丹念にチェックし、欲しい資料を2冊購入した。
 見学と資料のチェックをしながら、頭の中はめまぐるしく回転し、小説の構想がだんだん形をなしてきた。やはり、自分の感性を研ぎ澄ませて、現場に立ち、史料を見、動き回ることが大切だ。
 正午を過ぎたころ、郷土資料館を出た。今日も天気はまずまずだが、風が強い。
 象潟では鳥海山をバックに、かつて多くの島が点在していた風景を眺めたかったが、鳥海山は厚い雲で覆われていて、その姿を見せてくれなかった。
 道の駅でランチを食べたあと、海岸の近くへ出て、そこにある西施の像や波の高い日本海を眺めた。
 続いて、蚶満寺へ行き、初めてではないが、もうすっかり忘れていた芭蕉の句碑などを眺め、この周囲が海だったころと、地震で盛り上がって陸になったころを想像した。有名な蚶満寺だが、ウィークデーだからか、観光客や参拝客はなく、うろうろしているのは私一人だけだった。
 蚶満寺の拝観券やお守りを販売している小さな小屋の中には、若い女性が猫と一緒にいて、私がお守りを物色しているときに、急に雨が降り出した。
 急いでお守りを一つ買って、女性に別れを告げ(気持ちだけね)、駐車場のレンタカーまで走った。
 もう少しこの周辺を取材して歩きたかったが、短編の着想が得られたので、雨が降り出したこともあり、今日はこれで帰ることにした。
 ときおり強い雨が降る中、高速道路を走って秋田空港を目指した。
 いつものように、空港のすぐ近くのGSで満タン給油し、レンタカーを返却した。今回は300km走った。レンタカーのおかげであちこち回ることができたのだ。
 空港の売店で我が家のためのお土産を買って、無理やりスーツケースに入れたら、無料の20kgどころでない25kg以上になってしまったので、6kg分を手荷物に変更した。
 風雨は強かったが、飛行機は普通に飛ぶらしい。出発までの時間をゆったりと過ごすことにした。
 帰りの便も満席ではなかった。ウィークデーだから特に変ではないのだろう。しかし、秋田だから気になる。
 機長が高度を2400ftに上げたので、安定した飛行になった。元気が残っている私は、機内誌に目を通した。
 セントレアにはワイフが迎えに来てくれていた。
 途中、GSでアクアに給油し、近所の中華料理屋で晩御飯を食べて帰宅した。
 3泊4日の長旅を終えた私を、ここではクロネコのちび助(最近かなりやせてきたので、そろそろデブ丸の名前を卒業させようかな)が出迎えてくれた。

11月9日(木)「当面、病院通いが障害か・・・の風さん」
 秋田の仕事という大きなヤマ場を越えたので、ホッとしつつも、次のヤマ場へ向けてまた邁進しなければならない。
 しかし、最近の障害は病院通いだ。
 午前中は整形外科。週一の定例行事化しているリハビリに加えて、今日は主治医の診察も受けなければならない。先週の口腔外科の結果報告である。決定的な治療法なしという、情けない報告なので、面倒だった。ところが、病院からファックスが届いたそうで、主治医も呆れていた。次回の経過診察を受けた後は、ここでフォローしてもらうことになりそうだ。
 午後は新たに始まった歯の治療である。入社以来利用している歯科医院なので、ここから遠い。予約した時刻の1時間半前に出発した。途中でATMの利用もしたから、効率はまずまず、と。
 治療はまだ続く。まっすぐ帰宅した。天気も好いが、クルマの通行量が多い。秋田から帰ったばかりなので、景気(人間の活動の勢い)の違いを感じる。やはり秋田を何とか応援したい。
 夕食後は、明日の午後の打ち合わせのための準備をしたが、膨大な量あって、わずかしかできなかった。

11月10日(金)「パネルディスカッションへ向けて前進・・・の風さん」
 最近よく利用する時刻発の電車で名古屋へ出発。
 9時半からJMAのワークショップにアドバイザーとして参加。一種の異業種交流から始まったセミナーだが、今年から自主性を重んじるワークショップに変わった。アドバイザーとしての関与も工夫が必要で、少し手探りのところがある。
 今日はグループディスカッションのやり方を変更して議論の密度を高めることになった。
 午前中はコンサルタントの講義があって、昼食後、グループディスカッションになったが、私は終了前の午後2時に退席させてもらった。
 3時から別の場所で、25日の産学官連携に関するパネルディスカッションの打ち合わせが予定されていた。関係者が皆多忙で、この時間しかとれなかったのだ。まだパネルディスカッションの方向性が見えておらず、事態は緊迫していた。
 事務的なことから打ち合わせが始まり、だいたいそれらが解決したころ、私が現状打破のための問題提起をおこなった。そのための資料や、PC(MacBookAir)まで持参してきていたのだ。
 私の問題提起は、膠着していた事態を激しく動かす効果があった。短いパネルディスカッションで、結論は出ないまでも、何とか方向性を示したかった。キーワードは技術士であり、中部地区であり、中小企業だった。それらを再認識するためにも、私のグローバルな視点、国家レベルの視点が役立ったのだ。
 2時間半にも及ぶ打ち合わせだったが、あと1回打ち合わせができれば、何とかベクトルが合いそうだった。
 帰りにフランスパンを購入して帰宅した。
 ドイツのグリューワイン、大曲の(本場ドイツ風)ソーセージ、ヨーロッパのチーズ、切り落とし生ハムなど、久しぶりに、ヨーロッパ風の晩御飯になった。
 食後、何年かぶりに、VHSビデオで「氷の微笑」を観た。シャロン・ストーンが魅力的だった。

11月11日(土)「知人作家の受賞に学ぶ・・・の風さん」
 風が強くて寒い日だった。来週へ向けてまたやることてんこ盛り状態だが、とりあえずやれるところから手をつけてみる。重要な課題が後回しになっても、雑務をこなしながら、頭の中ではそれら重要課題に対する取り組み方を考えているものだ。心配はいらない。
 観光地に住んでいるので、休日の外出は時刻と方向を注意しなければならない。
 道路が混みだす前に、キャメロンの給油に出かけた。仕事で運転している人は少ない日だ。私もそういう日が多くなると良いのだが。年内はなかなかそういった日は来そうもない。
 比較的近くに住んでいる児童文学作家からiPhoneにメールが入った。野間児童文芸賞を受賞したという。実力のある作家がそういった名誉ある賞を受賞することは大変喜ばしいことだ。実にめでたい。出版業界の不振を反映しているわけでもないだろうが、ビジネスを優先した受賞形態を散見するので、不愉快なのである。しかし、これは納得できる結果である。
 夕方、今月発売の新刊の見本が届いた。2冊目のビジネス本つまり本名で出す本である。7月ころから猛烈なスピードで書き上げたわりには良い出来だ。編集長と私の現役時代の諸先輩の指導のお蔭である。
 おそらくこれが、自身通算16冊目の単著になるだろう。伊藤桂一さんのように99歳まで元気で長生きできれば、遅咲きの私でも100冊の単著を残せるかもしれない。とは言いつつ、単純計算すると大変な出版速度が必要なことがわかった。100冊などと軽はずみに言ってはならない。とにかく、質を落とさない、むしろ上げていく努力が重要だ。

11月12日(日)「超多忙の中、検査前日・・・の風さん」
 またこれから忙しくなることが分かっているので、今朝は頑張って早起きした(現役の人からすれば遅いくらいだが)。
 近所の産直売り場に行き、秋田の友人にみかんを送った。感謝の気持ちを何とか表したいのだが、あの手この手を考えて、それでも足りないので、当地の名産を送ることにした。ただし、ほんの一部の人である。相手によってお礼の仕方を工夫するのもなかなか大変ではある。
 それからアクアに給油して帰宅した。
 明日は大腸内視鏡検査なので、なるべくお腹の中にためないため、朝食は抜きにして、薬の服用だけにした。
 さあ、それから仕事である。
 やることはてんこ盛りだが、もし明日の検査でポリープの切除となると、2年前のように1泊入院になってしまう。そのことを考えると、明日と明後日はほとんど仕事できないという前提で、これから準備しなければならない。
 先ず、水曜日の講義の準備に取り掛かった。だいたい用意しておけば、あとは前日の夜で何とかなる。これは何とかできた。
 次に、来週末にも発売される新刊『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の宛名シール作成と、自分で購入する分の冊数の決定である。どちらも作業しながら決めていくことなので、どれだけ時間がかかるか読めない。とは言え、これも終了させた。最後は、郵送用の封筒まで作るので、秘書が欲しいくらいだが、給料を出せないので、秘書は雇えない(笑)。
 今日の昼食と夕食は、検査食である。昼はシチューとクラッカー、夜はそぼろ煮と雑炊。どちらも一気に食べるとあっという間に食べ終わってしまう量だ。あとは推奨されたドリンクのみで、私は水、コーヒー、ジャスミン茶、ハーブティーで水分を補った。定例のおやつが食べられなかったので寂しい。
 夕食後は、パネルディスカッションの準備だが、わずかしかできなかった。入院のことを考えて、MacBookAirとデータを準備した。また荷物が増えた。バッグが重い。

11月13日(月)「検査は無事終了・・・の風さん」
 家を出る4時間前から下剤を飲むことになっていたので、目覚ましをかけて5時10分に起きた。外は真っ暗。
 昨夜も指定の下剤を飲んだが、今朝いきなり効果が出たとは思えない。
 一人で準備して6時15分から下剤を飲み始めた。10分単位で、200ccの下剤、下剤、水と続け、これを1クールとして何度か続けるのだが、2年前に効果を確認済みだったので、体をいたわるように、ゆっくりペースで進めた。
 3クールが終わったところで、まだ効果は十分ではなかった。おかしいと思いつつ、下剤の消費量をチェックすると、毎回200ccをかなり下回っていることに気が付いた。ということは、水もだ。自分で勝手に臨時のクールを作って、補充した(笑)。
 結局、一昨日から今日に備えていたので、元々体内に出すべきものがあまりたまっていなかったことが判明した。
 それでも、とにかく準備は十分にできたので、予定通りの時刻に出発した。荷物が重い(ワイフは既に外出)。
 天気は好く、風はほとんどない。薄着でも問題なかった。
 電車と病院バスを使って12時半ころ着いた。鎮静剤を使ってもらうので、キャメロンで行くわけにはいかなかった。
 この検査と病院に慣れているのは強みだった。
 当初予約してあった午後1時半には、検査着に着替え、呼ばれるのを待っていた。緊張や動悸もない。
 看護師の先導で、左側に検査後の安静所、右側に検査室が並ぶ廊下を歩いた。
 一番奥の部屋に入った。2年前も経験していることだが、記憶はなかった。
 約2時間後に目覚めたのは安静所のベッド(検査室で乗っていたもの)の中だったが、途中の記憶はまるでない。
 左手には何のメッセージもなかったので、処置はなく入院にならなかったのだ。帰れるのだ。
 支払いを終え、病院バスの出発時刻まで、自販機コーナーで牛乳とチョコレートワッフルを買って食べた。二日ぶりの食事が美味かった。
 来た時と逆のコースで帰ったが、帰宅したワイフが最寄りの駅まで迎えに来てくれたので、坂道をのぼる必要がなかった。晩ご飯が何と美味かったことか。
 早めに入浴もした。久しぶりに風呂用スピーカーで音楽を聴き、開放感に浸った。
 入院がなくなった分だけ時間も確保できたので、超多忙の私には嬉しいことだった。

11月14日(火)「まるまる1日手に入ったはずなのに・・・の風さん」
 昨日入院にならなかったので、今日まるまる1日が手に入った気がした。これなら色々なことができて、遅れを挽回できると思った。
 しかし、外を見ると、霧雨が降っている。少し寒い。悪い予感がする。
 とは言え、朝食をしっかり摂った。さあ頑張るぞ、ととりあえず気合いを入れてスタート。
 出版社を通じて依頼のあった原稿の著者校正依頼が突然届いた。最新刊『咸臨丸にかけた夢』に関するもので、意外にも私の文章に対する修正提案だった。少し違和感をおぼえたが、目くじらを立てるほどのことでもないので、ほとんど受け入れてすぐ返信した。
 たまった名刺の整理もした。
 午後になっても気温が低いので、猫用のホットカーペットを一つ引っ張り出し、コロコロできれいにしてから、書斎の机の下、足元にセットした。これはいい。足温器よりマイルドだ。
 秋田でもらった音楽CDを聴いた。これには感動した。学年は一つ上だが同じ1953年生まれの秋田のシンガーソングライター津雲優の歌で、朗々と秋田を歌い上げている。大曲の花火のオープニングとフィナーレの曲であり、感動以外の何ものでもない。こんなに感動してしまうのは、私も精神的には秋田県人だからに違いない。
 秋田テレビから送ってもらったDVDも観た。たくさん撮影されたが、放送はコンパクトに編集されていて、やはり岩手県和算研究会の会長のコメントが効果的だった。秋田を絶賛していたからだ。算額の見学にお誘いしてよかった。
 ひたすら雑務の処理に専念したが、あまりはかどらなかった。寒くなると人間とくに老人の活動は停滞する。
 明日の講義の準備(配布資料の印刷など)を少しして、今日は閉店にした。

11月15日(水)「覚悟を決めてレジュメ作成・・・の風さん」
 まだ完了してなかったので、また講義の準備(勉強)を少ししてから家を出た。
 コンビニに寄って宅配を頼んだ。それからいつもの途中駅にキャメロンをとめて、電車と地下鉄を使って本山へ。
 郵便局で送金手続きをし、コンビニでパンを1個買って食べてからキャンパスへ。講師控え室でまた講義の勉強。これくらい勉強しておかないと、まともな講義はできないのだ。
 しかし、おかげで講義は無事に終わった。
 片付けてすぐキャンパスを出て家路についた。
 ところが、疲労していたのだろう、帰りの電車で居眠りをして乗り過ごした。戻った。
 おかげで帰宅がやや遅くなった(少し寝たせいで頭はスッキリしていたが)。
 夕食の前から絶好調になった。25日のパネルディスカッションのときにおこなう講演のレジュメを今夜中に送信する約束をしていたので、ついにそれに取り掛かった。まだ講演スライドもできていなかったので、どうしたものかと迷っていたのだ。しかし、覚悟を決めて取り掛かったら、どんどん進んだ。本番の講演はきっと異なるだろうが、それでも役に立ちそうなレジュメにすればよいと覚悟を決めたので、作業が進んだのだ。
 午前零時ころにレジュメを送付した。気分転換のために入浴し、再び、書斎に入った。これから明日の東京での仕事の準備である。経産省で知人と面会するのだが、何も知らない状態では相手に失礼だ。
 就寝は午前1時半過ぎになった。

11月16日(木)「上京して目的達成・・・の風さん」
 最寄りの駅を7時31分に出る電車に乗った。私にとってはメチャ早い(現役時代なら普通)。
 乗り換えた後、幸い座れたので、名古屋まで睡眠不足の補給をした。
 名古屋からはのぞみ。MacBookAirで資料を読む必要があったので、最前列の席を確保していた。ところが、既に横に先客がいた。ただこの先客はずっと寝ていたので、私の勉強の邪魔にはならなかった。
 今日は晴天で、富士山の頂上には少し雲がかかっていたが、まずまずの眺めだったので、気持ちも前向きになってきた。
 東京に着く直前まで資料を読んで、午後からの面会に備えた。
 東京駅からは地下鉄で、1回乗り換えて、日刊工業新聞社を訪ねた。新刊を使ったセミナーを同社で考えていて、担当者と意見交換するのが目的だった。
 10時から打ち合わせが始まり、担当者はまだ新刊を読んでいなかったので(まだ公式に発売になっていないのだ)、どんな経緯で執筆し、狙いはどういうところにあったのか、詳しく説明した。
 担当者は、来春にはセミナーを開催したいと言い、私の説明を踏まえた企画を後日示してくれることになった。
 昼食は地下鉄の駅近くのマックでハンバーガーとコーヒー。頭痛がひどくなってきたのでバファリンを飲んだ。
 また地下鉄で、1回乗り換えて虎ノ門駅で降りた。3回目か4回目になる経産省訪問である。面会する相手はいつも同じ親しい方である。今回はパネルディスカッションのメインテーマである産学官連携について、色々と教えてもらいたいと思って来たのだが、経産省のHPに出ている資料は、面会する方の部署で作成したものだという幸運で、自分自身の悪運の強さをあらためて感じた。
 1時間のつもりが、話が弾みに弾んで、1時間半の滞在になってしまった。産学官連携の話以外にも共通の話題があって、充実した時間だった。そして、大いに勉強になった。
 今日3つ目の用事は、児童書のエージェント(くもん出版を退社した元編集者)との打ち合わせで、場所は東京駅丸の内口付近だった。
 朝から乗り換えばかりだったので、経産省の玄関を出てすぐ目の前にある地下鉄の霞が関駅を素通りして、また虎ノ門駅から乗ったため、乗り換えをした後その霞が関駅を通過し、ばかな遠回りになった。
 親しいエージェントとは、私の提案で、ワインを飲みながら打ち合わせをした。約1時間半、来年以降の執筆に関する、これもきわめて密度の高い打ち合わせだった。この1年間で児童書を3冊も出版するという無理をしてしまったが、来年以降は、年に1冊のペースにすることで合意した。
 無事に3つの仕事を終えたので、帰りの新幹線の出発時刻まで、東京駅の地下のショップを覗いて歩いたが、まるでデパ地下のように購買意欲がそそられる品物ばかりだった。
 帰りはいつものこだまのグリーンで、広い座席を2つ占領し、仕事をする態勢をとったが、疲れていてはかどらなかった。
 帰宅は、午後10時だった。こんな時刻でも、私の好みで、コーヒータイムである。今日1日の報告をワイフにした。
 入浴は午前零時で、iPhoneとBluetoothでつないだSonyのbath用speakerでボサノバを聴いた。何とも豊かな気分。
 風呂から出て、血圧を測ると正常値で(当然だが)、ブレンドしたスコッチをオンザロックで飲んで寝た。

11月17日(金)「一気に外の仕事・・・の風さん」
 ストレスがなくなったのだろう。朝の血圧が低い。どうやら私は、精神的には異常なほどストレスに強いが、その反面(反比例して)肉体はストレスに弱いみたいだ(笑)。しかし、ストレスのない人生なんて味気ない気がするのだが、老境に入ったらいつまでもそんなことを言っていてはいけないのかもしれない。
 リハビリに出かけた。前進はない。自主リハビリする余裕がないからだ。
 帰りにATMに寄ったらカードが読み取れなくなっていた。ホームセンターをチェックして、気に入ったセラミックファンヒーターを見つけた。JAでカードの磁気部分が破損しているようだと言われた。ドラッグストアで久しぶりに大量購入。
 帰宅して印鑑を用意してから再び外出。晴れていて風もほとんどないので、今日は外の仕事には絶好だ。
 近所のホームセンターでA4用紙を、スーパーで美浜の塩を購入してからJAの支店へ。
 キャッシュカードの再発行手続きをしたら、ついでに定期の見直しを勧められた。キャンペーンをやっていて、利率がかなり上がるからだ。庶民のほとんどは実感がないが、景気はずっと上昇しているし、このところ株価も高い。銀行としては資金を集め、運用しなければならない。稼ぎ時のはずだ。書類を書くのは面倒だが、こんなタイミング(超多忙の中のエアーポケットみたいな時間)はめったにない。時間はかかったが、全面的に見直しをかけた。
 それからGSへ行き、今シーズン最初の灯油の購入をした。今は石油製品の価格が高い時期だ。しかし、屋内を温かくすることは老体には重要だ。
 帰宅したらもう3時近かった。今さらランチでもないので、インスタントコーヒーでカステラを食べた。何やら貧乏げなランチに見えたかもしれないが、コーヒーはKALDIのエスプレッソで、カステラは長崎土産である。
 知人や友人へ送るものがだいぶたまってきた。少しずつ送らなければならない。
 秋田テレビの録画をDVDで送ってもらっていたので、コピーを作る準備をした。他の資料と一緒にパソコンで観られるようにする準備だ。
 今夜は入浴しながらアメリカのポップスを聴いた。70年代のヒット曲が多いかな。

11月18日(土)「小雨降る中、公開セミナーへ・・・の風さん」
 天気予報通りに雨になっていた。これから3か月くらい寒い。昨日、灯油を買っておいてよかった。実は、昨日ホームセンターで見つけたセラミックファンヒーターを、あの後ネットで検索し、ポイントを使って購入した。ほとんどタダでもらったポイントなので、負担がないだけでなく、寒い季節の準備になった。リフォームした1階の洗面所に置く予定。
 ボヤボヤしていたら出かける時刻になってしまった。
 今日は午後、名商大の丸の内タワーで、大中先生の公開セミナー「企業経営 持続進化力分析ワークショップ」がある。大中節を聴くのも楽しいが、新刊本をお礼に届けることにしていたのだ。同じくお世話になっている長沢先生や矢本先生がいらっしゃったら、贈呈してくるつもりだ。
 キャメロン、名鉄、地下鉄を乗り継いで、丸の内タワーに着いた。エレベーターで知り合いとバッタリ。公開セミナーを聴きに来たのかと思ったら、まだ受講中だという。長期履修なのかな。たっぷり楽しめてうらやましい。
 大中先生の講義でまた色々なことを知った。勉強になる。25日のパネルディスカッションにも役立つかもしれない。
 長沢、矢本の両先生は不在だったので、事務室に預けて帰った。
 帰るころには雨は完全に上がっていた。
 キャメロンで大型家電量販店に寄って買い物をしてから帰宅した。
 1階の石油ファンヒーターが稼働しているので、エアコン1台よりも温かい。猫のちび助もうれしそうだ。
 日中が多忙だったからと言って、何もせずに寝てしまうわけにはいかない。あまり頭を使わない雑務をいくつかこなした。
 就寝前に少しだけ読書しているのだが、やっと1冊読了した。夏から超多忙で読書にあてる時間がほとんどなかった。昨年は1年間で50冊読了したが、今年はやっと22冊目である。

11月19日(日)「勉強することが多過ぎる・・・の風さん」
 ゆっくり起床。今日は終日ひきこもり予定(笑)。
 昨日の公開セミナーの中で、初めて聞く言葉がいくつかあった。それらをネットで検索して勉強した。25日のパネルディスカッションのために知っておく必要のある言葉が含まれていた。
 昨日、保有しているポイントを使ってセラミックファンヒーターを発注したが、実は、まだポイントが残っていて、使用期限があと1か月を切っていた。消滅させるのはもったいないので、電波掛け時計を発注した。我が家の掛け時計のいくつかは不調である。思い切って更新する必要があった。しかし、まだポイントが少し残っている。これも使ってしまおうと思っている。
 今日は天気(気温)もまずまずだったので hairdye をしたが、その直後、雨が降ってきた。風も出て、寒くなってきた。そうこうしているうちに、外出していたワイフが帰宅した。今年から友人らと参加したマルシェ(蚤の市のようなもの)が、悪天候の連続で、今日も楽しめなかったという。とうとう今回で中止すると決めたらしい。気の毒に。
 雑務処理は夕方でやめて、明日のパネルディスカッション打ち合わせの準備に取り掛かった。産学官連携は本当に難しいテーマで、勉強することが山のようにある。コーディネーターとしては、最低限の知識を得ておかねばならない。
 いつのまにか雨はやんだが、私の作業効率は上がらなかった。
 夕食後はもう勉強どころでなく、明日の打ち合わせのための提案事項をまとめることにした。
 バスタブに浸かって音楽を聴くこともなく、就寝前の読書もできず、さっさとベッドにもぐり込んだ……つもりだったが、午前2時が目の前だった。

11月20日(月)「最後の打ち合わせ・・・の風さん」
 パネルディスカッションのための最後の事前打ち合わせがあるので、8時4分発の電車で出かけた。
 現役を退いたはずなのに、こういった仕事のやり方をしているのが不思議である。会社の仕事そのものの気がする。
 ただし、今回の実行委員長をはじめとして、気のおけない人たちがそろっているのは、まれなことだし、幸せである。
 産学官連携という超高難度のテーマなので、こういったメンバーでないと、とても取り組めないのかもしれないが。
 細部まで決まったわけではないが、あとは私がコーディネーターとして、上手に進行し、少しでも多くの気付きや満足感を得てもらえるようにすることだ。責任は重大だが、メンバーのためにも頑張らねば。
 会議後、実行委員長の案内で、25日の会場の下見に行った。地下鉄のアクセスが抜群の位置にある雑居ビルの中の貸し会議室である。重要な黒子になるという自覚が体中にみなぎってきた。
 帰りに名駅の東急ハンズをちょっと覗いてから、電車に乗った。
 駅まで迎えに来たワイフの提案で、そのままレストランへ直行してランチにし、JPとスーパーで買い物をしてから、月例の墓参に行った。
 天気は晴れだが、気温が低く、雑巾をしぼるのがちょっとつらかった。
 パネルディスカッションのための勉強は中断し、雑務の山崩しに取り掛かった。月末へ向けて、短い原稿や短編小説も書かねばならないので、少しでも身軽になっておく必要がある。
 晩ご飯のとき、相変わらず顎が痛くてつらかった。痛み止めを飲むのは朝食後だけと決めているので、晩ご飯の頃にはもう効果は消えている。それにしても、なぜ治らないのだろう。ほうっておいて治らない病気だとすれば怖い。月末にまた口腔外科へ行くので、それまでに改善が見られなければ、また整形外科から紹介状を書いてもらい、別の病院へ行こう。
 就寝前に、非常勤講義の準備の一環でレポートの採点に取り掛かった。ところが、今回分のレポートは初めて出した課題で、自分自身の模範解答を作ってなかった。つまり、オリジナリティを求める難しい課題なのである。勉強から始めなければならない。
 そうこうしているうちに、今日も閉店の時刻になった。

11月21日(火)「今日も1日中仕事・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送ったついでに昨日準備した郵便物を投函した。毎日のように郵便物を送り、且つ受け取っている。メールも迷惑メールが多いが、毎日かなりの量の送受をしている。忙しいわけである。
 今日は、昨日ほとんどできなかった、明日の非常勤講義の準備を終えなければならない。レポートの採点がネックだったのは意外だった。とにかく、これが最優先である。専門的な言い方をすると、ORにおける組合せ最適化問題の近似解法、これを私が勉強しないと、学生のレポートを採点できないのである。
 ネットで探すと資料がどんどんヒットする。なかなか面白い学問だが、奥が深い。講義するわけではないので、適当なところでやめたいのだが、その適当なところというのも難しい。
 結局、夕方までかかって、レポートの採点を終えた(途中で色々なこともあった)。
 何とか就寝の1時間前までに講義の準備を終えた。ポスドクの人などは、こういった非常勤講義をいくつも抱えて、生活をしながら、テニュア(終身雇用)の機会を待っているのだ。私は、もうそういうことはしないので、今年度で卒業する。亡くなられた大野先生に弟子入りして、あっという間の10年間だった。きわめて密度の高い勉強期間だった。
 就寝前にパネルディスカッションの資料を少し読んだが、明日の講義を終えたら、産学官連携の議論の進行を真剣に考え、自分の講演資料も完成させなければならない。

11月22日(水)「また自由ヶ丘キャンパスへ・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送ったついでに郵便物を大量に投函した。
 その後、キャメロンに乗り換えて家を出発。早めに出発できたので、一般道を通っても午前10時に自由ヶ丘キャンパスに到着した。片道約50kmである。
 新刊『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』を中心に雑談。途中から、魏さんが加わって、中国では生産管理や品質管理の本が少ないという話を聞いた。世界の工場を自認している国が、いったいどうなっているのだろうか、と思った。
 お好み焼きで昼食にしたが、田村先生におごってもらった。ごちそうさま。
 本山キャンパスへ移動し、講義の準備をしながらコーヒータイム。講師控室の朝日新聞を読む。自宅の新聞と比較できて面白いが、どちらも左派だからなあ、あまり比較にならないか。
 講義を無事に終え、レポートも返却できた。
 帰りは工事区間を避けて走ったが、新ルートは比較的走りやすく、ショートカットだった。今頃発見するとは(^_^;)。
 途中で灯油を購入して帰ったが、小雨が降ってきたので、屋外タンクへの給油は中止した。
 うまい具合に宅配がやって来た。留守中だと再配をお願いすることになり、とても心苦しいのだ。私は労働者に対して、いつも敬意を払っている。
 夕食前にだいたい雑務を終えた。これからは週末のパネルディスカッションへ向けて集中することになる(来週の講義は田村先生にお願いしてある)。

11月23日(木)「準備に集中できない・・・の風さん」
 天気が好いので、朝食後、歩いて郵便物を投函に行った。ひなたぼっこしている猫に出会う。いつも戦場にいる気分を忘れる瞬間だ。
 投函した直後、ポストの取り集め時刻表示を見て愕然とした。今日は祝日で、9時半ごろと書いてある。間に合わなかった。明日の取り集め時刻は平日で1回だけの14時半ごろだ。何というタイミングの悪さ。過疎地に住んでいる悲哀を味わった。
 ま、とにかく、昨日買った灯油の給油だけはしておこう、と気持ちを切り替えた。
 いよいよ25日のパネルディスカッションへ向けて集中……というのが常道だろう、正攻法だろう。しかし、朝からこけているのを見ても分かるように、私はごく普通の人間だ。鬼のような集中力があるわけではない。
 パネルディスカッションの準備としては、とにかく勉強不足である。それだけ産官学連携というテーマは重い。
 幸い、名商大の先生方から多くの示唆を得ることができた。そして、さらに幸運以外の何物でもないが、経産省の担当審議官が親しい方だったので、霞が関でていねいに状況を教えていただけた。勉強するための資料はぼう大に確保できている。ところが、それらを読みこなすだけでも大変な作業なのだ。
 そうこうしている間に、注文していたセラミックファンヒーターが、クロネコによって届けられた。待ち望んでいた品物だったので、早速1階の洗面所にセットすることにした。パネルディスカッションの準備は中断。
 わくわくしながら開梱。出てきた出てきた。しかし……、やや高級バージョンのものを選択したため、操作が難しかった。
 洗面所に設置し、動作確認も終えて、安心してまた準備に復帰……。
 夕方また集中力が低下(笑)。気分転換にネットでターミネーター4を観た。シュワちゃんが最後の方でちょっとだけしか出てこないバージョンだった。
 こうして、今日もあっという間に時間が経過していった。

11月24日(金)「パネルディスカッション前日?・・・の風さん」
 パネルディスカッションとは言え、自分の講演もある。ようやく講演の構成を決めたので、朝から講演スライドの作成に取り組んだ。顎が痛いので、朝食はホットミルクだけだ。
 だいたいできたところで、出かける時刻になってしまった。今日も重要な雑務がある。
 キャメロンで刈谷まで行き、先ずは買い物。レギュラーコーヒー(粉)が狙いだったが、運良く安価なものが手に入った。
 それからデンソー本社へ行き、1時間、元同僚と歓談。新刊『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』を社内の何人かに渡してもらうように頼んだ。
 続けて、予約してあった歯医者だ。顎の痛みを配慮しながら治療してくれるので、とてもありがたい。奥歯に銀のかぶせものをするので、少し時間がかかっている。次回が最終になりそうだ。
 パネルディスカッションの前日なのに、こんなに予定を入れていたなんて、アホとしか考えられないが、あらゆる状況をかんがみて、これがベストだと思ったのだから仕方ない。
 帰宅して、念のため、パネルディスカッションのコーディネーターのテクニックや心構えを勉強することにした。ネット検索すると、コーディネーター経験者が、なるほどと思うコメントを公開していた。その中から、基本として、パネルディスカッションの目的とアジェンダを、前もって聴衆に示すことを学んだ。さらに、パネリストたちだけのディスカッションではなく、聴衆が参加していることを忘れないように、場内の空気(聴衆の反応)を読むこと、ディスカッションに引き入れる大切さも学んだ。初めてのコーディネーターは、度胸とアドリブだけではできないのだ。
 夕食後、もう産官学連携の勉強をしている時間はなく、最後の最後に残してあった課題に取り組んだ。
 今回の基調講演をし、パネルディスカッションでも中心になる可能性の高い、中部大学の山本尚先生に関する勉強だ。
 講演概要は私ももらっていたが、実は、十分なデータとは言えなかった。そこで、この山本先生が他の場所でどのような講演をなさっているのか調べ始めた。残念ながら講演資料そのものは、ネット上には拡散していなかった。先生のご講演を聴講した方がブログで感想を述べていたので、それらをチェックした。こうして、もらっていた講演概要がおぼろげながら分かってくるとともに、私の講演がいかに低レベルかを認識することになった。こうなったら、自分の講演スライドを手直しするしかない。山本先生の基調講演を想定しながら、自分の講演スライドを調整し、あとは本番で、しゃべりながら柔軟に対応できるようにした。
 随分と時間がかかったが、自分の講演スライドを修正できてよかった。さらに、自分のスライドの最後に、今日のパネルディスカッションの目的とアジェンダ3つを書いたスライドを用意した。
 自分が考えていた産官学連携の勉強以外の準備として、コーディネーターのやり方、山本先生の基調講演とのバランスをとること以外に、まだ重要なことがあった。それは、ノーベル賞候補の一人である山本先生の研究内容「分子性酸触媒の研究」の理解である。
 大学入試のために浪人している頃、多くの科目を勉強していたが、最も得意になった科目の一つに化学、中でも有機化学は得意中の得意だった。どんな問題が出てきても満点をとれる自信がついていた。
 山本先生の研究内容は、その有機化学の範疇だった。
 ところが、ネットで出てくるあらゆる資料を眺めても、技術的に理解できることは一つもなかった。私の知識など50年近い昔の古典であり、とても通用しないのだった。
 結局、意味するところを理解することを目標にした。結果、素人なりに分かったことは、先生の発見は、有機化合物の分子構造を自由自在に(設計的に)変えさせる酸触媒の開発だった。しかもその触媒は、産業界に大きく貢献するものだった。そして、基調講演は、その技術的な内容を解説しているのではなく、どうしてそういった研究に取り組み始めたのか、その考え方の大切さをうったえていることも分かった。ひと言で書くなら、基礎から応用ではなく、応用から基礎という着眼なのである。

11月25日(土)「何とか大任を果たした・・・の風さん」
 すべての準備を終えた時点で午前5時を回っていた。
 このまま徹夜でパネルディスカッションにのぞむわけにはいかない。少しでも睡眠をとろうと思った。
 午前5時半就寝。起床は8時半だった。
 顎の痛みに耐えながらトーストを食べ、ワイフに駅まで送ってもらった。車内では自分の講演資料のおさらいをした。
 金山駅でランチ代わりにどらやきを食べた。わずかな時間だったが、再度、自分の講演資料のチェックをした。
 地下鉄の新栄駅で降りて、予定通り12時に会場に着いた。前もって下見しておいてよかった。
 今年最後の大仕事がまもなく始まる。私にしては珍しく緊張していた。何といっても山本尚先生とは初対面である。それにもかかわらず、パネルディスカッションでご一緒するのである。
 全員がそろったところで、印刷してきた「パネルディスカッションの進行(案)」を配って、簡単に説明した。すると、山本先生が、私の講演とよく調和していますね、とコメントされ、明らかに緊張している私を励ましてくださった。なんて優しい先生だろうと、私はいっぺんに先生のファンになった。
 山本先生の基調講演は、昨夜、私がネットで調べて想定したものに近かった。私は真剣に聴講し、ひたすらメモをとるだけでなく、私の講演の中で引用すべきキーワードをしっかり押さえて行った。
 基調講演からは多くの学びがあったが、人間の本質的な欲求を満足させるための基礎研究が大切で、一見不可能と思われることでも、研究する意義がある、最初にシーズがあって出口を探さなければならない研究はよくない、というのが強烈な印象になって残った。
 先生の基調講演がすばらしかったので、私の講演は、それから学ぶ形で説明していくことができた。基調講演とのつながりを示しながらの話し方は、聴講者にも好評で、あとでほめてくださる方が何人もいた。私が主役じゃないのだから、当然のことでもあるのだけれど。
 パネルディスカッションも、考えた通りに進行させた。最初に目的「産官学連携における技術士の貢献と役割を見出すこと」とアジェンダ「@基調講演内容をもとにイノベーションについて考える A産官学連携の課題 B技術士の役割」を示してからスタートした。
 この進行(案)は適当だったようで、与えられた45分間では短いくらい、脇道にそれることもなく進み、最後は、技術士個人ではなく、多くの専門家をかかえる技術士会というかたまりでの貢献を探るのがベストという結論になり、東京の技術士会本部から来た来賓の副会長に半ば下駄をあずけるような終わり方でしめることができた。
 交流会は近所のワインバーで、お忙しい山本先生も出席されて、なごやかなムードの中で進行した。
 私は大任を終えた開放感で、幸せな気分を味わっていた。
 帰宅は午後10時ころになった。元同僚でもある技術士からもらったお土産で、ワイフと今日の仕事の成果を語り合った。至福の時間だった。

11月26日(日)「長女の幸せ・・・の風さん」
 昨日の寝不足を取り戻すかのように、昼近くまで寝ていた。実際は、寝不足よりも、かなり疲れていたのだと思う。
 それから、もう一つ。10月1日に発症した顎の痛みだ。この痛みに耐えるだけでも、それなりに体力を使っている。
 十分寝て起きたわけだが、大仕事を終えると、今度は顎の痛みが気になる。いったいどうなっているのだ?
 しかし、イライラしている余裕はない。時間の許す限り、たまっている雑務(郵便物を作ること)を処理していった。
 今日は、きわめて重要なことも予定されていた。長女が婚約者を連れてくるのだ。初めてではないし、私はとっくの昔に認めていたのだが、どうしてもきちんと挨拶したいと婚約者が思っていたらしい。「きりたんぽを食べにおいで」と招待した今日がその日になってしまった。
 5時過ぎに二人でやってきた。私は雑務の続きをやっていて、すぐ階下に降りることはしなかった。
 気にしたワイフが私を呼びに来たので、降りて行ったら、婚約者はスーツ姿だった。そんなに緊張する必要ないのに。
 しかし、とにかくきちんと挨拶を、と言うので、申し込みを聴いてすぐ喜んで聞いたよ、と返事した。2人が幸せなら、よけいな口をはさむべきではないと思っている。
 婚約者はその後、仏壇にも丁寧に挨拶をしていた。
 そのように律儀な青年だが、今日は驚くべき打ち明け話もあった。会社を辞めて独立し、事業をするというのだ。この勇気には感動したので、ソフトバンクの孫正義の伝記本をプレゼントして激励した。いずれにせよ、これから相当に苦労するだろうが、チャレンジは若い人の特権だ。甘やかさずに支援していこうと思う。
 婚約者にとって初めてのきりたんぽや秋田の新米、いぶりがっこなどで歓迎したが、緊張していて味はあまり分からなかったかもしれない。
 年末の焼肉パーティに誘った。何度も来れば、そのうち慣れるだろう。
 結局、9時までいたが、あっという間だった。
 長女は結婚式や披露宴に憧れているので、ちゃんとやるそうだ。偉い! 1年後に決めたと言うが、それもあっという間にやってくるだろう。
 歓談している間だけ、顎の痛みを忘れていられた。

11月27日(月)「週末の予定変更・・・の風さん」
 地元の新聞に拙著『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の広告が出ていた。
 朝から好天である。今日も外回りの用事がたくさんあるので、助かる。
 顎が痛いので、ホットミルクだけで出かけることにした。
 先ず、JPへ行き、6つの郵便物をチェックしてもらって投函。レターパックとスマートレターをまとめて購入。ATMで送金と通帳記入。予定通りの時間で終了。
 1時間とちょっと走って、胃腸病院へ。大腸内視鏡検査の結果を聞いて、今回は終了だが、十二指腸潰瘍は、1年後に胃カメラで確認、大腸は2年後にまた内視鏡検査ということになった。消化器の検査は、こんな感じで続けて行けばいいだろう。まだ検査方法を決められないでいるのが、すい臓や胆のうだ。亡くなられた大野先生の遺言を守らねば。
 ランチも抜きで、カリチューへ行き、キャメロンの修理の相談。幌(ほろ)の交換は高額になるらしいので、部分的な修理の組み合わせになりそうだ。ついでにエンジンオイルを交換してもらった。
 さらに大型家電量販店に寄って買い物をし、最後にキャメロンに満タン給油して帰宅。
 週末、伊豆から笠間へ出かける予定だったが、ちょっと予定が狂って中止することにした。雑務がまだたくさん残っているので、その方が良いのかも。中止する場合でも、やるべきことはある。ホテルのキャンセルなどをした。

11月28日(火)「今日も顎が痛い・・・の風さん」
 郵便物を2つ投函し、コンビニで日経新聞を購入した。拙著『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の広告が今朝の日経新聞の1面下に出ているのだ。
 それからリハビリへ。最近は顎が痛くて、左肩の痛みなどまったく忘れている。ホームセンターで買い物をして帰宅。
 昼食はカップスープ。
 相変わらず雑務の積み木崩しが続く。
 夕方、コンビニへ宅配を出しに行った。終末、笠間市へ持参しようと思っていた(寄贈する)拙著である。
 先週届いた楠木誠一郎さんの新刊『最後の武士 西郷隆盛』(講談社青い鳥文庫)を、HPの寄贈書籍コーナーにやっとアップした。年末が近づくと、翌年の大河ドラマ関係本が必ずと言ってよいほど届く。しかし、これは単純な子ども向け大河ドラマ本ではなかった。帯を見ると、楠木さんは西郷隆盛を何冊も書いている。勉強になる本なのだ。何とか時間を作って読みたい。
 締め切りが迫ってきたので、課題図書作家から子どもたちへのメッセージ原稿に着手した。アイデアは閃(ひらめ)いていなかったが、もう時間がないのだ。
 始めてみると、800字以内にするのが、なかなか手強そうだった。
 この続きは明日だ。

11月29日(水)「青色申告説明会・・・の風さん」
 今日は愛工大の非常勤講義のある曜日だが、今日の分だけ田村先生にご講義をお願いした。すると、まるでそれを狙ったかのように、税務署から決算説明会の案内が届いた。まさに講義の時間帯だった。
 相変わらず左顎が痛いので、朝食はホットミルクとポタージュスープつまり飲むだけにした。
 昨日から書き始めた子どもたちへのメッセージの仕上げに取り組んだ。わずか800字だが、伝えたいことだけでもかなりの文字数になってしまう。結局、ぜい肉を究極まで落とし、プロ作家でなければ書けないメッセージになってしまった。どうも私は完璧主義過ぎる……、が仕方ない。それがスタイルなのだから。
 その文章を事務局の先生へメールで送ってすぐ、キャメロンで出発した。
 説明会場は半田市のお役所が多い場所である。しかし、初めて行く。
 税務署の説明によると、来年の3月の確定申告のときに青色申告したいと申請した人たちが、今日の説明会の対象とのことだった。したがって、基本的なことがらの説明だそうだが、それでも1時間半が予定されていた。
 以前から確定申告はしていた。ビジネススクールで会計や、経理、簿記に関する知識はいくらか入手していた。なので、説明はだいたい理解できたが、通常の事業主と作家では商売で扱っているものが違うので、青色申告時にはやや特殊性が出そうだ。税理士の同級生もいるので、いよいよ困ったら、相談することになるかもしれない。
 説明会の最後は質問コーナーになった。行列がほとんどなくなった頃、簡単な質問をしてから会場を後にした。そのとき作家業だと言ったら、何のこだわりもなく反応があったので、プロは慣れているのだと思った。
 今日の昼食は、会場の自動販売機で買った缶入りのおしるこだった(笑)。
 昨日はリハビリの後遺症で少し昼寝したので、雑務があまりできなかった。帰宅してから、また本や資料の郵送の準備に時間を使った。
 まだまだやることがあるが、左顎の痛みが気になってしょうがない。明日はまた口腔外科に行くが、悪化していると説明するしかないな。

11月30日(木)「左顎の痛みの原因?・・・の風さん」
 このところ好天が続いている。気温も高めだ。おそらくこの感じで新年を迎えるのだろう。寒波はその先だ。1月、2月が最も寒い。老体には危険な季節になる。その前にやれることはどんどんやっておこう。
 やや遅く起床。実は病院へ行く時間を1時間間違えていた。
 慌てて朝食。ほとんど飲み込むだけ。
 キャメロンで病院へ。実は、昨日行った決算説明会場のすぐ隣が病院である。2度目のはずが、ほとんど3度目に近く、スムーズに駐車できた。
 病院は混雑していた。北朝鮮がまたミサイルの発射実験をやったのだが、相変わらず国会ではスキャンダルの質疑応答。国会議員はタレントか? いやタレントだと思っているのに違いない。そもそも選挙は人気投票ではない。政治家としての資質や実績こそ大事で、聖人君子は二の次だろう。左顎が痛いので、昨今は不満も多い。
 予約より1時間近く遅れて診察となった。予定通り悪化していると言った。
 前回もしっかり話を聞いたが、今回は、どこが痛いのかに集中したことで、これまで以上に推定原因が明瞭になってきた。
 先ず、痛い部分はほとんど筋肉だった。その部分が凝り固まっているというのである。先生が私の頬を内と外から指ではさんで圧迫すると、信じられない気持ち良さ。「肩凝りの症状が重いやつと同じ」とのことだった。
 前回もらった筋肉の緊張をやわらげる薬は、副作用が眠くなるだったので、日中は服用できなかった(運転するので)。寝る前というのが処方だったが、アルコールとの相性が悪いとのことで、スコッチのオンザロックを飲むときはやめていた。そんなこんなで、積極的に服用していなかったのだが、これから積極的に服用してみることになった。
 帰りにお世話になっている企業に寄って、新刊を会長に贈呈するように秘書に依頼した。
 さらに行きつけの薬局(いつもドラッグストアと詐称している)に寄って、FAXされた院外処方に基づく薬を購入して帰宅した。
 何となく左顎が快方に向かうような気になって、ワイフと遅い昼食を摂り、初めて日中に薬を飲んでみた。
 しっかり睡眠をとっているせいか、眠気が出る薬を飲んでも元気だったので、たまっている雑務の積み木崩しに取り掛かった。夕方まで快調に進んだ。
 日馬富士暴行事件の中間報告をニュースで聞いた。貴ノ花親方の態度からの予想。貴ノ岩に聴取させないのは、おかしな説明をすることを恐れている気がした。そうなると、弟子の指導ができていない親方の責任になる。それを恐れているのではないか。
 明朝はワイフを駅まで送る関係で超早起きになるので、さっさと寝る態勢に入ったが、郵便物を5つ完成させることができた。何となく、左顎の痛みが弱まっている気がする。

2017年12月はここ

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